明日は空気が冷たく感じられるでしょう

明日は空気を冷たく感じられるでしょう。

明日は空気を冷たく感じるでしょう。

明日は空気が冷たい。

明日は空気を冷たい。と感じる。

あなたは明日空気を冷たく感じる。

You may feel that air is cold.

You feel air cold.

You feel cold in air.

 

空気が冷たい。

空気を冷たく。

 

空気に「が」がかかることだったと思うが、「空気が」は「人が」の主語に対して、「空気が」の存在がおかしくなってしまう。

あなたが空気が冷たく感じる。

分解すると、あなたが感じる。空気が冷たい。

「空気」は対象なので、主語としての「が」はおかしくなってしまう。

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それに対して、対象を表す「が」というものが存在する。

3 対象を表す「が」(小鹿良太1993:61)

これは、排他の「が」とほとんど区別がつかない分類である。例文(4)の「私は国語が好きです」を見てみよう。「あなたの好きな教科はなんですか」という問いかけに対し、「国語が好きです」と答えたとしよう。この場合、二通りの解釈の仕方がある。まず、「他の教科は好きか嫌いかわからないが、国語が好きです。」という国語を対象として表現した場合。次に、「国語以外の教科は嫌いです。」という排他的表現。どちらかといえば、前者のほうがより一般的な表現であると思われるので、この「が」は排他的表現というよりはむしろ対象を表す「が」と捉えたほうがいいだろう。このような解釈の違いがあるので、排他的表現と対象表現とを区別した。

http://www2.dokkyo.ac.jp/~esemi008/kenkyu/naito.html#ganoyouhou

 

この解説によると、

「が」は「排他」と「対象」の二通りを示している。

今日はなんでもいい?(今日のご飯はなんでもいいですか?)に対して、

  カレーライスがいい。(カレーライス以外はやだなぁ)「排他」

  焼肉がいい。(焼肉が食べたいなぁ)「対象」

がある。

 

この対象を表す「が」が当初の文の「が」を表していると言えないだろうか。

 

「空気」を強調的に対象を示している「が」という表現で、大気が冷たいということを強調している文章として成り立っている。という解釈である。

 

あなたは感じるでしょう、空気が冷たいと。(「空気が冷たい」目的格として感じる)

あなたは感じるでしょう、空気を冷たいと。(感じるの目的語としての空気)

あなたは感じるでしょう、空気は冷たいと。(「1番の「空気」を目的語とした形態)